ねばならぬを手放してみる

ヒーリング

ねばならぬ、ではないのである

私はずいぶん長いこと,このねばならぬにとらわれて生きてきた気がします
そうすることが当たり前で常識的だと思っていたからです
そうしなければ父に怒られるから・・・

私の父は昭和時代の男児で
亭主関白、父上様的存在感を醸し出し
押さえつけ、親の言うことをやらせる
それがしつけだと思っている人でした

一緒に生活した時間も少ないし
話をすることなんか全くなかったし
存在感だけは大きくて
いつ怒られるのか、という恐怖な存在でした

父親が思い込んでいる価値観をそのまま持ってしまった
怖い父の言うことなんか聞かなければよかったのかもしれませんが
子供の私にとっては
それに反することがどれぐらい怖いことか
ということしか頭にはなかったのです

与えられた教材をやってなければ朝食抜き
頑張らなければならぬ
時間を守らなければならぬ
計画通りにしなければならぬ
片付けなければならぬ
お正月にはおせち料理を食べなければならぬ
夏休みには宿題を終わらせ家族での旅行や思い出を作らなければならぬ
女の子なら可愛くいなければならぬ
女性らしくふるまわなければならぬ

といった具合にねばならぬ生活を送ってきたのです

今思えば
どれだけゆるみのない
しばられた生活だったのでしょうか・・・

ねばならぬにがんじがらめにされていたのでしょうね
それも守らなければ父親に怒られるかもしれないという
強迫観念にも似た思いにとらわれながら生きてきてしまいました

窮屈でした
しまいには姉妹同士で比べられるわけですから
{姉ちゃんはちゃんと勉強しているのに}
{妹はかわいらしくしているのに}

この観念から抜け出せないまま
大人になり就職してしまい
自分にもねばならぬですが
同僚にも同じようにねばならぬを押し付け

患者さんを思いやった接し方でなければならぬ
出来るだけ患者さんの思いを汲まなければならぬ
しんどい状態でお待たせしてはならぬ

ねばならぬをやっていると
どこかにゆがみが出てきてしまう
どこからか噴火してしまう

そんなことが何度もありました
今思えば申し訳ない気持ちでいっぱいです
ごめんなさい
ゆるめなかったんです・・・

これは苦しかったです
社会人にもなれば
本当にいろいろな人がおられます

今までの学生生活のように
お友達とだけ付き合っていれば済む
というわけにいかないのです

いろいろな価値観の持ち主
常識は千差万別
観念なんて恐ろしいほどの数

ねばならぬが苦しめていること
その観念が邪魔をすること
40年近く生きてきてやっとわかったんです

だけどわかると楽、ゆるみます
自分は自分だし相手の考えは相手の考え
したければすればいいし
やりたくなければやらなければいい

どんなことを選んでも
どんなことを受け入れなくてもいい
ただすべてが自分の責任
それだけは忘れない
誰のせいでもない、自分が選んだんだから

 

みんながしているからしなくてはならぬのではない
あなたが同じようにしたければ愉しめばいいし
ねばならぬとの思いでしているのであれば
いつでも見直せる
どうしたいかはあなたが選択できるんです
してもいいし、しなくてもいい
誰かの価値観に振り回されるのではなく
自分で自分が喜ぶことを選んでみてください

今日で2019年も最後
あなたが今どんな状況でも
今年最後にこんなゆるみを持っていただき
来年、今よりももっと愉しくあなたらしく過ごしていただけるよう
今日の記事にさせて頂きました

最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m

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