Healer Tomo とは ~プロフィールに代えて~
Tomo です。
自己紹介を兼ねて、ヒーラーとして活動するにいたった経緯をお話しします。
きっとどこにでもいる・・そんな存在であることがわかっていただけると思います。
悩んでばかりで、自分のことが大嫌いで。
気楽にお読みいただければうれしいです。
両親、3姉妹という環境の影響は大きかった
私は3姉妹の次女として育ちました。今は結婚して娘2人を育てていますが、自分がその立場になって親の苦労を理解したことも多くあります。その視点をもってしても、どうにも消えない思いがあります。もちろん感謝はしているのですが、なんとなく苦い味の記憶も消せずにいます。
振り返ってみると姉妹によくある性格パターンの影響を濃く受けていたように思います。しっかり者で両親からの信頼の厚かった姉。甘えん坊で誰の目にもかわいらしく人気のあった妹。
私自身は姉の様子を見ながらも、自分の意志を通してきたように思います。たぶん姉や妹からは自由奔放にみえていたはずです。でもわがまま放題というよりは、なぜか親に遠慮して自分の意志を伝えるのに苦労してきました。
というのも、親とりわけ父が納得するだけの理由を示すことができそうもない・・と委縮していたからだったのです。
両親にわかってもらいたい・・。そういう気持ちは姉や妹に決して負けていなかったと思います。でも私の気持ちを見透かすように言葉を選ぶ母と、容易なことでは納得しない父の間で甘えることができませんでした。父は転勤が多く、単身赴任していた期間が長かったので、よけいに甘えるチャンスもなかったのかもしれません。
たぶんそのためですね。
自分は愛される価値がない・・と思い込むようになったのは。
ナースを選んだ理由
こんな私は看護の道を選ぶことになりました。実はナースにあこがれていただけではなかったのです。『癒し』という言葉を意識するようになったのは少し看護がわかりかけてからになりますが、人の役に立ちたい、人の安らぎになる存在になりたいという気持ちを強く持っていました。実は、「人に必要とされたい」「自分の存在価値を感じたい」と思っていたからなのかもしれません。
看護への情熱はずっと冷めずに続きました。けっこうキツイ現場でもあったのですが、自分を支えたのはいつもこの「必要とされたい」「役に立ちたい」だったのです。
しかし、現場では決して看護だけでは支えきれない状況ばかりでした。ナースとしてどんな関りが出来たのか・・・実際、病気やケガで治せるものもありますが、治療にかかわらず長期にわたって苦痛を感じないといけない場合や自分で自分をコントロールしなくては療養生活が成り立たない場合もあり、死が避けられないとしても、その方の人生として何が愉しめたのか、何に喜びを感じれたのか、しんどい思いだけの人生になってしまったのではないのか・・・
また病気になったことや高齢になったこと、体が弱ったことを受け入れられずに元気をなくすケースがたくさんありました。
私はいつしか看護の限界を強く意識するようになったのです。
スピリチュアルな考え方で視野が広がる
死を意識するといやでも自分と向き合うことになります。ですから自分の体が弱ってきたら、私でも打ちひしがれてしまうかもしれません。
はっきりしているのは心が弱ると全てが後ろ向きになるということ。そういう気持ちは病気そのものよりもつらいということ。このことは見ていてわかりました。どんなに幸せそうな家族でも、その家族が頻繁に見舞いに来ていても、本人がどのように感じ、これからの人生を過ごすのか、心と身体がかけ離れてしまっていることも否めませんでした。
考え方しだいでは感じ方も変えられる、あなたにもまだ幸せを感じる道がある・・言葉にするとそういうことになるのかもしれませんが、ナースの立場としては当時そこまでお話しすることはできませんでした。
ライフコーチやヒーラーを学び、スピリチュアルな考え方を探し求めるようになったのもこんな経験がきっかけだったように思います。
ヒーラーであることを意識するように
学びが進むにつれ、心と身体の関係性にも実感をもって理解が及ぶようになりました。そして心を癒す活動があまりにも少ないことに気が付いたのです。癒しというのは身体だけに行われるのではなく、心にこそ必要なのです。そして十分な癒しを受け取ると、生きやすくなることを知ったのでした。
何よりもおだやかに生きることを私は望んでいました。それは私自身、癒しを十分に受け取ってこなかったからで、だからこそ「癒し」に惹かれたのだということも理解しました。
「こんな私だからこそできることがある。癒しの価値を伝えることができるんだ」と感じるようになったのはそれから間もなくのことでした。私は自身がヒーラーである自覚を持つようになったのです。
求めていた愛を知る
癒しとは「愛」とも言い換えることができます。
与える側と与えられる側の違いということはあっても本質は変わりません。
だから私は愛にも敏感だったのです。
私が親から感じていた愛情は
「こればできたら良し、これができなければだめ」
といったような条件付きの愛でした。
でもこれは本物の愛じゃなかった。
私が何者でも無条件に愛されるものじゃなかった。
私が求めていたのは
「無条件の愛」「無償の愛」だったのですね。
だからこそ無意識に反発し、甘えることができなかったのです。
私は今度こそ親からの影響を意識的に脱するきっかけをつかんだのでした。
最後に
マザーテレサの言葉で
「愛されることより愛することを。
理解されることより理解することを」
というのがあります。
私が受け取り方を変えていれば、違う感じ方をしたのかもしれません。
それを知るために生きてきたのかも・・と思うようになりました。
人生を知るとこんな謎解きができるようになります。
ライフコーチの仕事はそのお手伝いをすることなんですね。
理解は癒しにつながるのです。
何より大事なのは自分と対話すること。
そのためには自分を浄化すること
より深い自分につながることがキーになります。
パワーストーンの力を借りればこのプロセスもスムーズになります。
結局ヒーラーとは身体も心も癒して人生を進ませる存在だったのです。
あなたも自分を癒してみませんか?
ライフコーチでもありヒーラーでもある私がご案内します。